我が人生は物語と共に

映画や演劇の感想など。エンタメと文学をこよなく愛します。

衝撃と恐怖 『悲しみのイレーヌ』

『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)


残虐だ。
事件の様相は事細かく記されており、ホラー映画のような惨状にゾッとする。


カミーユを筆頭に個性的な仲間が集い、次第に彼らに思い入れを感じながら読み進めていく。
小説とはそういうものだ。


長い長い第一部、短い第二部。

第二部を読んでいき、第一部の根底にあったことがひっくり返されたのを知る。
最初は実感出来ず、じわじわとやってくる衝撃。


そしてエピローグの文面に感じる恐怖。


現実とは何なのか。





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以下ネタバレ注意


















第一部は、ビュイッソンが書いていた小説だ。

魅力的に思えていたカミーユたちの姿は、現実のものではなかった。
犯人が作り上げた姿。その事実に、衝撃からの恐怖を感じる。

現実と虚構に揺れ動く。

第二部こそが、本当の彼らの姿だ。

この小説では、犯人の描いたカミーユたちの姿が大部分を占めていて、そんな彼らに感情移入して、でも第二部でそれがひっくり返されたとたん、自分は何を信じていいのかわからなくなってしまう。



本当のカミーユたちの姿が露わになり、彼らは必死でイレーヌの行方を追う。

最後に待っているのは、全く救いようのない、悲しいなどという言葉では言い表せないくらいの結末。

ラストシーンは頭から離れない。
ビュイッソンの作り上げた殺害現場が、映画で見たかのように頭に焼き付いている。

カミーユの感情を表すような文章もなく、ただその現場の様子が述べられているだけで物語は終わる。
感じるのは果てしない絶望のみ。



なぜ、キリストのように、十字架に磔にしたのだろう。





ところで、このタイトル。
そして本編に直接は関係なく、ふとした拍子に挟み込まれてくるイレーヌの存在。
イレーヌがこの物語の核とならないわけがない。

だとしたら、私が考えていた結末はふた通り。
ひとつ、イレーヌが殺される。
ひとつ、イレーヌが犯人。
というわけで、イレーヌの死で幕を閉じること自体には驚きはなかった。



が、エピローグの手紙。


”わたしたちは、実は自分たちが思うより似ているのかもしれませんね。そもそもある意味では、あなたの奥さんを殺したのはわたしでもあり、あなたでもあるんじゃありませんか?”


この文面に、何と言っていいかわからないショックを受けた。
怯えた。
何にショックだったんだろう?ただの犯人の妄言なのに。

この言葉に、真実も含まれているような気がしてしまうからだろうか?


”この問いについてぜひ考えてみてください。”


ああ、考えている。考えてしまっている。この問いが、どういう意味なのか。